伊達政宗が家督を譲ってまつりごとの表舞台から姿を消したのはまだ春の香残る卯月のころであったと記憶している。
 先の戦で伊達は顔に傷を負った。傷は深いものではなく直ぐに癒えたが、その際に目もやられたらしい。ひとつきりだった左目も 光を失った。全盲となった伊達は近い血筋の者に当主の座を渡し、己は幼少の頃過ごした屋敷へと移った。

 真田が奥州の伊達を訪ねたのは梅雨入りも間近のぐずついた日であった。天下は既に豊臣のものとなっており、敵も味方も同盟も裏切りも、 なにも、存在しなかった。すべての武将たちは豊臣に仕えるという形を、それが形ばかりであっても取り、世は平穏であるかのように 見えた。真田が伊達と会うのに都合の悪いことなど、もうなくなってしまっていた。
 或いは伊達の失明を誰よりも悲しんだのは真田であったかもしれない。真田は心から好敵手の傷をいたんだ。たとえ右目を失おうと 左目を失おうと真田の伊達に捧げる敬愛の念が薄れることはない。けれども伊達と刃を交えることが二度とないのだと思えば、真田は 湧き上がる無念の情を抑えることができなかった。伊達もまた、そうであったのであろう。真田を迎えた伊達は少し寂しそうに悪いな、 と笑った。
 目線の焦点こそ僅かにあわぬが伊達は健勝で、暫く領地の話などをしたのち真田は場を辞した。伊達が少年のような煌めきを未だ 失っておらず、快活であったことが真田は嬉しくて、そして安堵した。





 五月雨の降りしきる肌寒い朝、真田は伊達への贈り物を佐助に持たせ奥州へと送り出した。最早、戦なき世に戦忍である佐助を わざわざ使いに出す必要はない。しかし伊達に目通りするならば見知らぬ臣よりも、面識のある佐助である方がよいだろうと思ったのだ った。折りよく珍しいとされる香木が手に入った。目が見えなくなってからというもの、多趣味な伊達の関心はもっぱら香に向けられて いる。ひとときであっても慰めになればと真田は緋縮緬に包んだそれをそうっと佐助に手渡した。


 忍びか、久しいな。
 幾度もこの城の天井裏に潜んで、佐助は伊達に会ったものだった。己が少し気配を漏らしておくせいか伊達が過敏なせいなのか、佐助が 姿を現すよりも早く、伊達は声をかけてくる。天井板を外して覗き込めば、何時も人を食ったような笑みを浮かべた若い男が、其処にいたものだった。
 けれども、いま、佐助を迎えたのは思い描いていた男ではなかった。主である幸村から聞いた、両目を失いながらもしゃんと背を伸ばし、 彼のいろである濃紺の単衣を纏って快活に笑う、伊達ではなかった。
 伊達は桔梗色の大層華やかな衣を身に着けていた。深い紫に金糸で大輪の牡丹が縫いとめられている。伊達の名に相応しい洒落た、ひと目で 値が張ると知れる品だ。帯は漆黒に銀糸で竹が細やかに描かれていた。その上に赤紫に同じ色糸で波が抜かれた羽織を掛けている。
 派手な装いは伊達の姿を引き立てていたけれども、それはあきらかに女物であった。そして伊達の傍にあって伊達がすべてを委ねるような 男は、ひとりしかいなかった。忠臣と名高いあの男が、主に男娼のような姿をさせて、いるのだ。
 息を呑む己に向けられた目に、佐助は違和感を覚える。目が見えぬものは気配に敏くても焦点の定まらぬことが多い。音の鳴る方を向いていても どこか遠くを見るような目をしているはずであった。伊達の左目は、まっすぐに佐助にあてられている。じわり、背を汗が伝った。
 独眼竜、あんた見えてるの?佐助の言葉に伊達は肩を竦めた。なんだよ、なんでもお見通しってか。そうだ、見えてるぜ。よく見れば、伊達の 膝元には盲であれば用無しであろう書物がいくつも転がっている。伊達は懐から煙管を取り出して火をつけた。一連の流れるような 仕草はけして盲目のひとができるようなものではなかった。
 旦那は謀られたってわけ。いや、真田が来たときには本当に見えてなかったな。一時的なものだったんだろうよ。ついこのあいだ戻った。 じゃああんたこんなとこで何やってんのさ。声が荒ぶるのを、佐助はどうすることもできなかった。苛立っている。だって異常だ。目の見えぬ主に その身を貶めるようななりをさせる家臣も、それを知りながら受け入れている主も。気味が悪い。
 あいつはずっと俺の傍にいてくれた。俺を明るいところに連れ戻してくれたのも、ただのガキにすべてを捧げてくれたのも、あいつだ。 それでも俺は伊達の当主であるかぎり誰かひとりのものになることはできねぇ。これがあいつの望みだっていうなら俺は拒まねぇよ。
 狂っているのは先刻承知と男は嗤った。



 政宗さま。離れたところから掛けられた声に、気取られないように少しだけ目線を外して、伊達は振り返る。幼いころから変わらず傍に 仕える男が、替えの衣を手に入ってきたところだった。断りの声とともに夜着に手がかかった。身になじんだ白の代わりに肩にかけられた 布は、幾度か洗いにかけられたのであろうが、新しいものであるゆえに固かった。鮮やかな紫が、まぶしい。
 新調したのか。京の反物が手に入りましたので。そうか。
 帯を締め終えた手が、羽織を整える。彷徨わせていた目を男の腕のあたりに定めて、伊達は唇を開いた。なぁ、何の色なんだ?よどみなく 男が答えた。うつくしい蒼にございます。そうか、ともう一度頷いた。伊達は男の肩口に顔をうずめて目を閉じる。小十郎、何処にも行くなよ。 はい、ずっと、あなたさまのお傍に。優しい声が囁いた。
 その腕のなかだけで生きてほしいと願うのなら、叶えてやる。お前がそれを、望むのなら。この箱庭のなかに、ずっと、いてやるよ。
 紫に散る金牡丹の上をちろちろと舐める陽光を目の端で捉えて、伊達はちいさく笑った。





私が終わりを告げて埋葬されたら