!ご注意!
※大した描写もないうえにほぼ出てきませんが筆頭が女の子です。あと幸村の言葉遣いですが現パロということで少しだけ変えています。
ひとの不幸は蜜の味、などと言うけれどまぁ一理あるのかもしれない。自分がどん底の時に幸せそうな顔でにこにこされても祝福する気にはならないだろう。
とは言っても幸村はそこまで切羽詰まった状況に身を置いているわけではなく、ひとの不幸を見てせせら笑うくらい暇な訳でもない。取り立てて忙しくもないのだけれど。
幸村が前世の記憶――戦国時代の武将、真田幸村であったころの記憶を取り戻したのはある男との出会いがきっかけだった。
友人に紹介されて始めたバイト先で随分と騒がれている客がいたのだ。
大通りからひとつ入ったところにある洒落たバーはがらんとすることはなく、ごったがえすこともない隠れ家のような店だった。
照明を絞った店内にジャズピアノがゆるゆると流れ、やってくる人もみな上品な飲み方をした。間違っても騒いだり酔い潰れたり出来るような店ではなかった。
幸村はちょうど空いていたバーテンの見習いとして入ったのだが、人好きする性格のせいか真面目なことが幸いしてか、あっさりと他のスタッフに馴染むことが出来た。
ひとまわりほど年上のオーナーは幸村を弟のように可愛がり、彼女の人徳かスタッフも親切なひとばかりだった。
働き出して2週間ほどたったころ、店の女の子たちがある常連客の話題で盛り上がっていた。耳を傾けているとオーナーとは旧知の仲で、かなりの色男らしい。
ひとりでやってきて静かにグラスを傾け、さりげなく女の客を口説いて連れ帰ってしまうそうだ。やっていることは取っ替え引っ替えなのだが、あまりにスマートなやり口なので
恨まれることもないのだ。ハンサムで優しく気が利いて女にもてる。百戦錬磨の男の話を適当に相づちを打ちながら聞いているとどうやら本人がやってきたようだった。
かたくらさぁん、女の子が歓声をあげるとその常連客は軽く手を振って幸村のいるカウンターの方へと歩いてきた。
仕立ての良さそうなダークグレイのサマースーツを着た背の高い男だった。髪を後ろに撫でつけて強面だが成る程、騒がれるだけのことはある大層な美丈夫だ。
常連客ならば挨拶をせねばならないと磨いていたグラスを脇に置き男の目を覗き込んだとき、幸村の中でなにかがぱちん、と弾けた。
手品師がからっぽのシルクハットから鳩を取り出してみせるように、鮮やかな光景の波がするりと目の前に現れたのだ。
かたくら。片倉小十郎景綱。奥州の伊達政宗、独眼竜の右目。
真田、テメェ。男が低く唸った。どうやらあちらにも記憶があるらしい。
「お久しゅうございます。政宗殿はお達者か」
「テメェに教える義理はねぇな」
そうだ、伊達とは一時期同盟を結んでいたものの、主と違ってこの軍師は時に幸村を毛嫌いしているのではないかと思うほどに警戒していたのだった。
幸村が伊達の命を害するおそれがあれば仕方のないこととはいえ、あのころとは立場もなにもかもが違うのだ。そのような目を向けられれば気分がいいはずがない。
昔からどうもこの人物は苦手だった。
ふたりはカウンターを挟んで暫し膠着状態だったが、それは幸村の横から伸びてきた手によって破られた。とん、と片倉の前にウイスキー・オン・ザ・ロックのグラスが置かれる。
いつの間に来たのかオーナーが立っていた。
「…孫市どの」
「オーナーと呼べ、真田。それから使いだ。ピスタチオとビターチョコレートを買ってこい」
「まだ十分にあります」
「いいから行ってこい」
孫市が右手をひらひらと振る。そうやって幸村は店から追い出されてしまった。
歩いて15分の輸入品専門のスーパーから帰るころには幸村はすっかりあの頃のことを思い出していた。
どこまでもついてゆくと決めた主のこと。いつも影のように付き従っていた忍びのこと。そして武田信玄に傾倒していた自分が初めて主以外にこの胸を高鳴らせた運命の好敵手のこと。
そういえば片倉は随分と邪魔をしてくれたものだ。もっとも伊達にとっての佐助とて同じであったのだろうけど。
腹いせに大量に買ったピスタチオの袋を抱えて戻ると片倉の隣には既に女がいて、ぼうっと頬を染めて彼を見上げていた。
それから何度か片倉は店に現れた。カウンターでウイスキーのオン・ザ・ロックを片手に女の子を巧みに口説き、連れ立って店を後にした。
いつもきちんとした服を着て紳士的な態度で接し、相変わらず女の子から騒がれていた。見習いバーテンではなく調理を任されるようになった幸村は片倉と顔を合わせる機会も
必然と減っていったのだが、ある日を境に片倉はぱったりと店に来なくなった。
店の女の子たちが首を捻っているうちにひと月、ふた月と過ぎていったが片倉は姿を見せることはなかった。
次に幸村が男を見かけたのはバイト先ではなく夏の陽射しが眩しい真昼の街でだった。
あるプリマバレリーナの栄光と挫折を描いた話題の映画を見ようと駅前で待ち合わせをしていた幸村は横断歩道の前に自分に背を向けるかたちで片倉が立っていることに気付いた。
店に来ていたときよりも幾分かラフな格好で隣には女の子がいて、ふたりは手を繋いでいた。
恋人ができたんだなぁと幸村は思った。ちょっとデートするくらいの子と手を繋いたりはしない。後ろ姿なのでまじまじとは見えないが、女の子は片倉が好きだという
オーラを振りまいていたし、時折横を向く片倉の顔にも彼女が可愛くてしようがないと書いてあった。店の女の子たちには見せたことのないくらいに優しげな顔だ。
バーにいた片倉はスマートでそつがなくて大人の男といったふうだったが、今の彼は随分とリラックスして楽しげだった。恋だなとどこかの風来坊のようなことを思いながら
時計を見たとき、ふいに女の子が振り返って、幸村は思わずあっと叫んだ。
白シャツにボーイフレンドデニムというこざっぱりとした格好で、短く切った黒髪から医療用の眼帯が覗いている。幸村と同じくらいの年頃で、ほんの少し背が低かった。
「ゆきむら!」
金色の瞳をぱっと見開いて彼女は駆けてきた。
「まさ、むねどの?」
「おう!」
にかりと女の子にしては乱暴に伊達が笑う。挨拶のつもりだろう、幸村の肩をばしばしと叩いた伊達は質問を浴びせかけてきた。今までどうしていたのか、
武田や忍びとは一緒なのか、などなど。女というには胸も尻も足りないくらいに痩せていたが、以前よりも丸い目やふっくらした唇、くるんと上を向いた睫毛はちゃんと女の子で
可愛いなぁと幸村は素直にそう思った。なるほど片倉が警戒するわけだ。
「政宗殿が女の子になっておられたとは。道理で片倉殿が会わせて下さらぬわけですね」
「Ah?お前ら会ったことあんのかよ」
伊達の向こうで片倉が苦虫を噛み潰したような顔をしている。それを見ているうちに幸村の中にふつふつと意地悪な気持ちが芽生えてきた。
戦国の世で、伊達と片倉は十分に特別なもの同士であった。それが男と女として生まれ変わったのだ。主や家臣への好意が男女のそれにかわったとしてもなんら可笑しくはない。
円満で幸せそのものな空気をあたりに振りまいているふたりを邪魔してやりたいなどと、あの時代の幸村ならば思わなかっただろう。そういったことは恥ずべきことであったし、
真田幸村という男は愚直なまでに清らかで正しくひかり輝く存在でなければならなかった。
ひとを騙していたり自分を作っていたわけではなく、一介のもののふで嫡男ではない幸村はそうやって生きていくのが一番だったのだ。汚い仕事はすべて佐助が持って行ってしまった。
だが今の幸村は学生にすぎないし佐助も傍にいない。ちょっとくらい苛めたって問題ないはずだ。べつに別れさせようって訳じゃなし。
「片倉殿は俺の働いているバーの常連さんなのです。知っておられますか政宗殿、」
片倉がまずいという顔をした。 が、もう遅い。
「片倉殿は女の子を口説くのがとてもお上手なのです。あのバーで片倉殿に声をかけられて落ちなかった女の子はおりませんでしたから」
にこにこと邪気のない顔で幸村が言い終わるより早く、バシンと派手な音がして伊達は走っていってしまった。幸村は慌てるふりをしてこっそりと笑う。
赤く腫れた頬は今日一日引かないだろう。それより辛いのは伊達の不興をかったことに違いない。片倉は人を殺しそうな顔で睨みつけていたが伊達を優先することにしたのだろう。
真田、テメェ覚えておけよと言い残していなくなった。
覚えておけだなんて伊達の軍師がなんて捨て台詞だろう!
清々したのと同時に幸村は悲しくもなった。戦国の伊達ならば片倉が誰と寝ようが気にもかけなかったはずである。やはり幸村と好敵手であった伊達はもうどこにもいないのだ。
あの誰もが高みを目指した空の下で、主の武田信玄と伊達だけが幸村の心を激しく揺さぶった。それはある種の恋のようなものであったと幸村は思っている。
そんな幸村の恋を片倉は散々に邪魔しようとした。だからまぁこれはちょっとした意趣返しだ。
昔から言うではないか。ひとの恋路を邪魔するやつは馬に蹴られてなんとやら!
ひとの恋路を邪魔しやがって!
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