退屈なのがいちばん嫌いだ。
裕福な旗本に生まれ育った政宗にとってもっとも苦痛なのは暇を持て余すことだった。
嫡男ではないうえ三人兄弟の末っ子である政宗に家督のお鉢が回ってくるはずもなく、また上の兄が政宗を大層かわいがったので
養子に出ることもなしに政宗は兄のもとで気ままな暮らしを送っていた。
御勤めがあるわけでもない。書や剣術の稽古の他はもっぱら趣味にあてた。そういう意味では政宗は実に多趣味であった。
花に香に漢詩、和歌。茶の師には恵まれなかったが、異国の言葉から蘭の改良、果ては料理までありとあらゆることに優れていた政宗は
どこにいっても教養人としてもてはやされた。公家たちは歌会となれば政宗を呼びたがり、政宗が作った蘭やら朝顔は高値で売り買い
された。
反物やら簪など集めて商いのまねごともしてみたのだが、これもうまくいった。元来、器用なのである。
しかしこれに関しては兄がいい顔をしなかった。商人のまねがだめなら兄が趣味でやっている土いじりもどうかと政宗は思ったが
逆らうことはしなかった。どうせ表立って自分が顔を出すわけにはいかず、人を使うようになってからは当初のようなおもしろみも
さほど感じなくなってきていた。
兄は政宗の自由さを愛してくれていたし、政宗もそんな兄を慕っていた。それで商いからは綺麗さっぱり手を引いたのである。
そんなある日、兄嫁が芝居見物に行くことになり例によって御勤めで手が放せない兄に代わって政宗が付いていくこととなった。
大らかでしっかり者の義姉の唯一の道楽は芝居で、おまけに今回は贔屓の役者が出るらしい。義姉がはしゃぐ様子は年下の政宗から
見ても可愛らしかった。
芝居が終わり茶店で一息付いたとき、すでに空は茜色に染まっていた。
義姉が勘定を済ませるあいだに外に出た政宗は路傍で手拭いを目深にかぶった男が物を売っているのに気付いた。
近寄ってみたのは売り物のなかに香炉が転がっていたからだ。
屈み込んで香炉を見れば真鍮である。丈夫ではあるが見栄えがいまいちぱっとしない。政宗はもう少し派手好みであった。
「おい、飾りが細やかなのはねぇのか―」
何気なく顔をのぞき込んだ政宗ははっと息をのんだ。手拭いのあいだからちらりと目を寄越したのは先ほど舞台の上で熱い視線を
浴びていた看板役者だったからだ。表情を消し去っているが、間近でみる彼は息が止まるほどに美しかった。
固まっている政宗を一瞥した男はすぐにふいと目線を外す。不思議な空気を纏った男だ。取り立てて美形だというわけではない
のに見るものを惹きつけ、美しいと思わせる容貌だった。瞳の奥に潜む影が謎めいた魅力で男を飾っている。
そう、怖くなるほどに不幸の翳を感じた。狂人ではないか。
「いまはこれしかないよ。欲しいなら次の市の日にまた来るんだね」
そう言うと男は政宗の手から香炉をひったくってくるり、背を向けた。愛想もなにもない態度に何か言ってやろうと口を開いたが、
義姉が向こうで政宗を呼んでいる。それで、その場はそれきりになった。
次の市の日、政宗は男を訪ねて行った。聞いたところによると、男は役者として人気が出る前からあのあたりで物売りをしているのだ
そうだ。名を佐助という。
細々としたものを置いているが佐助が売っているのはもっぱらその体だった。下積みのころはともかく酔狂なことに名が売れてからも
止めず、おまけに客にするのは武家や裕福な商人ではなく貧乏人ばかりらしい。ろくに金も取らず、時には握り飯ひとつ。
ただ同然で寝るのだ。
このあいだと同じように手拭いをかぶってしゃがみこんでいた佐助は政宗に気付くと乱暴なしぐさで香炉を寄越した。
蛇が互いの尾を噛んでいる手の込んだものだった。
「なーに?なぁんかご用?オサムライサマ」
金を払っても去ろうとしない政宗に佐助は小馬鹿にしたような声をぶつけてくる。
「おまえ、こないだ源九郎狐やってた役者だろ?」
政宗が話しかけると男はふんと鼻で笑ってひねくれた笑みを浮かべた。
「ああ、あんたも俺を買いにきたのかい?」
あまりにも不躾で露骨な態度に言葉をなくしているとすいと伸ばされたひとさしゆびが政宗の顎を掬った。長く整った綺麗な手だ。
見上げた目の奥で闇がゆらりと煌めいている。
「でかい顔する侍も金をちらつかせる商人も大嫌いさ。けどあんた、顔は俺様の好みだから抱いてあげてもいいよ」
開いた口がふさがらない。政宗はただ暇つぶしに男と話をしようとしただけだ。しかし、と思う。これだってなかなかthrillingだし、
結構な暇つぶしじゃないだろうか。相手は女でないから孕ませる心配もない。
そう結論を出した政宗は佐助についてゆくことにした。
連れて行かれたのは茶屋のようなところだった。女将に断りを入れて勝手知ったる様子で佐助は突き当たりの部屋を空ける。
赤い布団や薄い襖はいかにもけばけばしく安っぽい作りだ。酒も茶もなく、佐助は政宗の体をころりと転がすとすぐに覆い被さってきた。
唇が重なる。挑発するようにちらと覗いた舌が口の中に潜り込んで奥にいた政宗のそれを絡めとり啜る。激しくはなくあくまで甘く、
甘く。
手で躯中をまさぐられて気が付けば着物は部屋の隅に放られていた。見下ろす佐助の顔がひどく淫靡で、政宗はそのとき初めて官能と
いうものを知ったのかもしれない。それくらいになにもかもが違った。
髪だとか指だとか、そんななんでもないところを佐助がなぶるだけで信じられないほどに感じた。信じられないくらいに濡れた。
恐怖すら感じてもがく足が敷布を蹴る。
やがて佐助のぬれたものが入ってきたとき、政宗は身も世もなく泣き叫んだ。いやだ、やめろ、やめないで。
もう分別などあろうはずもなかった。汗と涙と愛液が染み付いた布団で深くまぐわいながら、政宗は自分のなかで獣が息を吹き返す
鼓動を、聞いた。
予期したとおり佐助は金を受け取ろうとはしなかった。金を忌み嫌っていたのだろう。
佐助が政宗から受け取ったのは品評会に出しそびれた深紅の朝顔、ただひとつだった。狂い咲きで花弁が裂けたように咲くそれを
佐助はことのほか大事にしているようだった。
なぜ貧しいものとばかり寝るのか、政宗は聞いてみたことがある。自分よりひどい境遇のものが取りすがっているさまを見るのが
たまらないのだそうだ。やはりろくな男ではなかった。だが、もうどうでもいいことだ。
そして政宗は佐助との行為に溺れていった。身のうちに花ひらいた愛欲を政宗はどうすることも出来なかった。
四日に一度が三日に一度になり、二日、ついには毎日のように佐助の元へ足を運んだ。佐助が忙しく現れぬときなど
気も狂わんばかりだった。若い躯はひたすらに佐助を求めて疼いた。
けれども二人の関係はあっさりと終わりを迎えた。
政宗のただならぬ様子に気付いた義姉が下男に後をつけさせ、すべてが露見したのだ。
十はなれた弟である政宗を兄はひたすらかわいがった。その兄が激昂し、政宗を殴りつけた。手をあげられたのは初めてだった。
そのとき、政宗は分かってしまったのだった。この世で真に自分を愛してくれるのは兄だけで、自分はこの兄の庇護を離れたら
生きていくことができぬのだと。
もう会わないと言えば佐助は興味をなくしたかのように顔をそらしただけだった。言葉もなく別れる。角を曲がったときだった。
「だんなぁ」
甘ったるい声がして思わず政宗は振り向いた。今まで佐助ひとりだった路傍に男が立っている。栗色の髪を靡かせて、
あの狂い咲きの朝顔のような紅色の小袖を纏っていた。
政宗と同じ年頃の青年だ。旦那と呼んだ男を見る佐助の表情に政宗はぞっとした。
子どものような、ただひたすらに美しいものを見るようなそんな表情を佐助は浮かべていた。政宗にはついぞ見せたことのない顔。
ああ、やはり、狂っているのだ。
政宗は二人から目をそらして、そうしてもう二度と振り向かなかった。
はなひらく
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