クリスマスカードを買ったのは11月のなかばで、けれども薄手のジャケットで十分なほど暖かい日だった。  今年は秋のままで終わるんじゃないかというくらいに冬の気配は微塵もなく、2週間前にクリスマス一色に塗り変えられた 街のイルミネーションがなければ来月の終わりに控えた子供たちのビックイベントも忘れ去られてしまいそうだ。
 広い店内にずらりと並べられたカードの中から適当なものを選ぶ。クロームには兎がクリスマスツリーを見上げている可愛らしいもの、 千種にはシンプルで上質なデザインのもの、犬には様々なお菓子が飛び出す楽しいものを。そして彼には黒地に金色で流れ星が描かれた 品のよいカードを選ぶ。  カウンターで会計をするとカードを包んだ女性はにっこりとほほえんだ。素敵なクリスマスを。ネームプレートには小さなサンタクロースが ぶら下がっている。少し気が早いんじゃないだろうか。そう思いながらも僕も返す。貴女も素敵なクリスマスを。
 12月になれば頻繁にやり取りされるこのフレーズが僕は嫌いではない。すべてのひとは等しく祝福されている、そんな気持ちになる。 そういえば彼の祖国にも似たような挨拶があった。よいお年を。暮れに家路を急ぐ人々はみな幸せそうな表情を浮かべる。 あれもいい言葉だ。
 クリスマスカードだなんて本当に天邪鬼な思いつきだった。僕は自他ともに認める面倒くさがりで余計なことは一切しない。 メールだって返さないですむ用事なら返信したくないくらいなのだ。そんな調子だからクリスマスは毎年犬と千種、クロームがすべて 用意して僕を巻き込む形で祝う。だからそのお返しというか、せめてカードぐらい書いてみようかという気になったのだ。 彼とクリスマスを過ごしたことは1度もなかった。
 クリスマスの切手はもう売っているだろうか。せっかくのカードに使う切手がいつもの見慣れたものというのは味気ない。 郵便局へと踵を返した目線の先に見慣れた2人が映った。いつまで経っても子供っぽさが抜けないマフィアのボスと彼が、花屋の店先に そびえ立った2.5メートルはあるだろう樅の木を片方はにこにこと、もう片方は冷ややかな目で睨みつけている。みんなで、が大好きなボス がファミリーの子供たちのためにと彼をお供に買い付けに行ったのだった。ボスが気付いて手を挙げる。骸、このツリーどう思う? ヒバリさんはもっと大きい方がいいんじゃないかって言うんだ。それで十分でしょう。
 2人の立つ店先まで数メートル。早々に樅の木から興味をなくした彼は欠伸をしながら昼食をどこでとろうかと考え始めている。























 頬を冷たいなにかが掠めた。
 うっすら開けた目の端を風花がひらひらと舞っていく。見上げた空から雪が降り注いでいた。 ホワイトクリスマス。なんて素敵な贈り物なのだろう!どこからか聖歌隊の歌うクリスマスキャロルが聞こえてくる。
 聖夜にはどれほど罪深いひとも赦される。聖夜にはどれほど貧しいひとの願いも叶えられる。すべてのひとは祝福され、愛される。 神を信じていないような僕でさえ。
 ずっと、誰かと結びつきたいと思ってきた。一瞬であってもいい、誰かのために在りたいと願ってきた。今このとき、僕は死によって永遠に彼と、 彼らと結びつく。正しく損なわれることによって自分以外のものになるのだ。それは完全な終焉。すべて思い描いた通りだった。
 柊と金色のベルの切手を貼ったクリスマスカードは大事な人たちの手に渡っただろうか。どうかよいクリスマスを!
 流れる賛美歌に想いを馳せて僕は目を閉じた。





正しく損なわれるということ

Merry Christmas 2010