何時頃だかは忘れてしまったが髪を切るのを止めた。時折小姓に整えさせるだけであとは放っておいた政宗の髪は腰のあたりまで 伸びている。短いときにはあちこち好き勝手に跳ねていた髪も伸びるにしたがって緩やかにうねり、柔らかな波を描いた。 戦に出るときなど邪魔になってしまうので後ろでひとつに束ねて、たまに飾りなど挿してみる。これがなかなかに好評でよく人に 褒められた。
 政宗の母は美姫として名高く、艶やかな黒髪はみなの羨望の的であった。そして政宗の髪は母のそれとよく似ていたのである。


 広げていた文がぼうと滲んで政宗はまぶたを落とした。
 文字を追うことで酷使した目はぎちぎちと鳴いている。眼球の上を軽く揉んで文机と向き合うのは終いにした。 急ぎ返書のいるものではない。そもそも一つ目の政宗では夜は領分とは言えないのだ。
 見計らったかのように腹心が現れて散らばった文机の上を片付けだす。諸侯への文は文箱に、使わなかった紙は匂い袋を入れた 紙入れの中へ。片付けが好きではない政宗はぼんやりとそれを見ていたが視線に気付いたのであろう小十郎は 主を見て眉を顰めた。
「またそんな格好をされて。急所を晒してなんとなさる」
 言うなり彼は文箱を脇において、政宗のだらしなくくつろげられた襟をさっと直してしまう。前は勿論、せっかく空けておいた襟足 もぴっちりと閉められてしまった。少し、息苦しい。
「…んだよ、」
「髪も衣もきちんとなさいませ」
 ぴしゃりと叱られて政宗は膨れた。四角四面に結うやつが何処にいるか。せっかくならと今風にやんわり結い上げたのに小十郎には 洒落っ気がちっとも伝わらなかった。みなに褒められてもこの男に叱られるのではまったく意味がない。
 おまえが綺麗だと褒めたから伸ばしたのに。
 政宗は元来、短絡的な性質である。加えて今は政務の疲れが余計に苛立ちを増長させていた。 飾り棚の上に置かれていた小太刀を取り、鞘から抜き去ると流石の右目も驚いたように目を開いた。
「政宗様!なにを、」
「邪魔だから切る。離せ!」
「お止めください!」
 太刀を持つ手を小十郎が抑えつけようとしたので政宗は必死で暴れた。
 離せ離せと、子どものように癇癪を起こして、恥ずかしいと思うのに今更引っ込みが付かない。後ろから抱き込むように 捕まえられたときにはだらしがないと叱責されたときよりもさらに酷い有様だった。
 羽織が肩から滑り落ち、もとから緩く結わえていただけの髪は解れて幾筋も落ちてしまっている。抗う気も失せて 政宗はのろのろと太刀を下ろした。
 ひどく悲しかった。ようやく想いを通わせたというのに一体何をしているのか。
 ずっと小十郎が好きだった。己が告げた恋情が彼をどれほど苦しめ、けれどもその果てに政宗を受け入れてくれたことを知っているから、 すれちがいはひどく堪える。じっとしていると温かい手が宥めるように頭を撫でてきた。
「貴方の髪は綺麗だ。だから切らないでください」
「…おまえのために?」
「はい、この小十郎のために」
 分かったとちいさく頷くとうなじにかかる髪を掻きあげて小十郎の唇がそこに触れた。あ、と声をあげる間もなく優しいくちづけは 激しいものへと姿を変える。さきほど己が急所と言ったところに小十郎はためらわずに唇をおとした。
 耳朶から頸の付け根まで隈無く吸われて、吐息が触れるたびにしとどに濡れていくのは頸だけではない。やがて小十郎の整った歯が 牙を剥いてもそれはただ政宗の心に官能を灯しただけだった。
 忠臣の犯す唯一の不義に政宗は身も心も乱れていった。







 ふ、と目が覚める。気が付けば己の部屋で文机に突っ伏して政宗は眠ってしまっていた。書きかけの文が腕の下でぐしゃりと不格好 に折れ曲がっている。やれやれ。書き直しだ。
 伸びをしているうちに小十郎が入ってきて文机の上を片付けだした。視線が交わる。
「またそんな格好をされて。風邪を引きますよ」
 手がゆっくりと伸びて襟足を直された。とがめる口調だけれど心配でたまらないという色が見え隠れして、おまけに衣を整えるだけ でなくその指が結い上げた髪に触れたので、政宗の機嫌は明るい方へと転じた。
「おまえのために伸ばしているんだからな」
「有り難き幸せにございます」
 肩に散った一房にそっとくちづけた小十郎は面をあげると今度は伊達の唇に己のそれを寄せる。夢とは違い、何処までも優しい しぐさだった。
 そういえば近頃は政務が忙しく、夜を小十郎と過ごしていなかった。だからだろうか?あんな厭らしい夢を見たのは。
 荒々しく求められるのも魅力的だけれど、やはりいつものように優しく愛されたい。そう思ってはたと気が付いた。
 いつも、とは?
 考えれば考えるほど、何時、小十郎と想いを通わせたのか、何時、踏み越えてはいけないところを二人が犯したのか、 政宗はさっぱり思い出せなかった。 戦のない冬になってからというもの、どうにもぼんやりとし過ぎているようでたまに夢か現か分からぬことすらあった。 そうすると、これも夢なのだろうか?
 うとうとと考えに耽るうちに髪を乱し終えた小十郎が指を絡ませてきて、ゆっくり躯を倒された。 官能が花ひらけばあとは蕩けおちるだけである。ねだるように目を閉じれば望んだくちづけが舞い落ちて、政宗は一切を思考のなかから 追い出したのだった。



 さぁさ、いったい何処までが夢でしょう!




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