ねぇ竜の旦那、アンタには一生分かんないんだろうけどさぁ、ヒトって死に場所死に時をいっぺん見失うとなかなか死ねないものなのよ。 はいはい、ご高説垂れないでね。アンタは何があっても生きなきゃいけない国主サマだってことは分かっていますよ。でも俺は忍びなんだ。 金で雇われた主に付き従って使い捨てられたり消費されていく。それが忍びってものさ、本来はね。 俺の死に場所は間違いなく関ヶ原だった。それなのに俺は死に損なってしまったんだ。あの人が見え見えの嘘まで付いて俺を生かそうとするから、 自分のために死ねって言わないから、ついて来いって言ってくれなかったから。だから死に損なって今もまだずるずると息をしてる。

 旦那の死に目には会えなかったけど最期は知ってる。あの人を上田まで運んだのは俺だから。本当は戦場に戻り旦那の仇を討って 「ごめんね旦那俺も死んじゃったよ」ってすぐに追いかけるつもりだったんだ。けど敵さんをいくら殺しても、討ち死しようと一番戦火の 激しいところに飛び込んでも俺は死ななかった。そうやっているうちに戦は済んで、終いには幕府だの天下太平だのって戦そのものが無くなっちゃって、 旦那に言い訳できそうな死に場所がひとつも無くなってしまった。流石の俺様も途方に暮れたね! おまけに旦那に会うまでの間って六文銭を持って来ちゃってさ。よくよく考えたらあれがないと旦那が三途の川を渡れない。 肝心なときに頭は回らないもんだ。まぁ旦那のことだから渡し守に気に入られてタダで乗せてもらってそうだけど。
 あれから一年、そんなこんなで生きながらえてる俺様だけど今も旦那の面影をあちらこちらで見ることがある。 この間のなんて、聞いてよ!生まれてこのかた不思議なことにはたくさん遭ったけれどこないだのはなかでもとびっきり摩訶不思議だった。
 ふた月ほど前かな。越後にかすがを訪ねた帰りにふと思い立って近くの山に登ってみたんだ。なんとなく呼ばれた気がしてね。 月が煌々と輝く夜で、夜目にも木の葉の一枚一枚がくっきりと見えたよ。暫く歩くうちに木々は段々と低くなって、ついには柔らかな草に 覆われた高原のようなところに出た。そこに金色に輝く水溜まりがあって、月がちょうど沼の真上に差し掛かって沼全体が光を孕んでいたんだけど綺麗だったなぁ。 ちょっとこの世の景色じゃないみたいだった。
 それでふらふら誘われて水の中を覗いたら、居たんだよ。俺の愛しい旦那が! 上田の城にいる時みたいに着古した小袖と袴姿で水底ですうすう眠ってた。とても安らかで健やかで槍を持って駆け回っていたころと なにひとつ変わらない。俺が涙までぼろぼろこぼしながらだんなだんなって叫んでいたら、旦那の目がすうっと開いて俺を見て笑ったんだ。 佐助こっちに来いって手招きされた途端、ものすごい力で引っ張られて気が付けば俺は水の中にいた。沼の水は温くもなく少しだけ ひんやりとして、水面から月光がひらと降り注ぐなかを手が伸びてきた。ごつごつした旦那の手が蛇みたいにするすると首に巻き付くのを 他人事のように見ていたよ。ああ、旦那淋しかったんだね。今度こそ連れて行ってくれるんだねって。少しずつ息苦しく、眠たくなって でも最後にもう一度だけ旦那の顔が見たくて、閉じかけていた目を開けた。そうしたらあんなに綺麗に笑っていた旦那が! まっすぐな目をした旦那が、信じられないくらい意地悪に笑っていた!俺の旦那じゃなくて、旦那のふりをしたろくでなしだったんだ。 手を振り払ったら厭らしい影はぐすぐすと溶けて、あとには俺だけが残った。月が照らしているのは原っぱでもとから沼なんてどこにもなかった。

 そうして今日も俺は旦那の六文銭をちゃりちゃり言わせながらのうのうと生きてる。あのときに拾った命を甦らせることなんて できずにあのひとの面影をあちらこちらに引き摺って、いつか何処かで野垂れ死ぬまでさまよい続けるんだ。
 ああ、俺が死ぬべきは間違いなくあのときだったのに!



月幻、


竜ヶ峰




 昨年の長月、鷹狩に出掛けた。知っての通り奥州の冬は早く雪は根深い。一度地面が白く覆われてしまえば戦どころか身動きが取れねぇ。 春は遠い。だから血の気の多い奴らのためにも秋には大々的に祭と鷹狩を行うことにしている。みな楽しみがなくちゃ参ってしまうからな。 鷹狩はまぁ何事もなく終わり、それぞれが狩った獲物を引き下げてさぁ城に戻ろうとしたときだ。俺と小十郎だけで二日ほど湯治してくりゃいいという話が出た。 今考えれば相当に暢気な考えだが、戦はすべて片が付いていたし急ぎの用向きもなかった。城には綱元と成実がいる。 たまには俺が思い切り羽をのばすのもいいと思ったんだろう。自分が目を光らせときゃ大事には至らないってな。小十郎はそういうやつだ。
 それで、狩場のすぐ近くの北条の領土に変装して忍び込んだ。なにちょっとした悪戯だ。どこぞの武家のふりをして山の中腹にある温泉宿に 泊まった。悪くない宿だったな。水が澄んでいるから豆腐や酒が美味い。あの固い米はいただけねぇが葉の上で炙った味噌は思い出すだけで腹が鳴りそうだ。 熱めの湯に浸かって、翌朝は早くから山に登ることにした。

 あの山のことは知ってるか?なら話は早い。三大霊山と言われ古くから山伏たちの信仰を集めた険しく厳しい修験道だ。山の頂の方には 賽の河原なんて呼ばれる岩場があるが、その名の通り殺風景でおどろおどろしいところだ。あれがこの世の果ての眺めだって言われりゃ 誰もが納得するだろうよ。
 宿の主が握り飯をこしらえてくれたんだが、その折に鈴を持たされた。熊が出るのかと聞けば熊は出ぬと言う。じゃあこれはなんだと 問うと始めは濁していたが、終いに鬼が出ると言ったので思わず笑っちまった!こんな鈴をちりちり鳴らしてるくらいで手を出せねぇなら 弱っちい鬼だから俺が倒してやるってな。けれど小十郎は違う考えだったらしい。なにか曰わくがあるのだから土地の者の言うことは 聞いておいた方がいいってな。爺さんが親切で言ってるのは分かっているし、俺もそこまで捻くれちゃいねぇ。いつもなら折れるんだが、 その鈴ってのがな、正直に言うと気に入らなかった。拳を握ったくらいの馬鹿でかい真鍮で、如何にも野暮ったい。 おまけに首にかけられるように通してある紐はなんの飾りもない白でこれまでに手にした男たちの手垢で薄汚れている。俺はどうしても その鈴を持って行きたくはなかったから宿の部屋に置き去りにしたのさ。小十郎は途中で気付いたみたいだがなにも言わなかった。
 それで登り始めたんだが、路が険しいのに加えてその日は早朝の雨で相当にぬかるんでいた。おまけに霧が酷くてまったく見えやしねぇ。 枝に結ばれた布切れを度々見失って結局登りきるのに四半時ほどかかった。秋の初めだというのに頂上は雪が降っていて屋根が申し訳程度 に付いた小屋で数人が肩を寄せて震えていた。みな年寄りや農民だ。少し休んで直ぐに山を下りたが熱が出た。 アンタの旦那に空けられた腹の傷が治りきっていなくてな。随分と高い熱だったようで前を行く小十郎が行李に括り付けた鈴がちりちり 鳴るのを聞きながらぼうと歩いていたんだが、途中、意識をなくして崖から落ちた。

 気付いたときには薄暗い森の中にいた。俺たちが歩いていた修験道とは違って、路と呼べるような形跡は見当たらないみっしりと葉が 重なり茂った深い森。ふと宿の親父が言った鬼の話が頭をよぎった。幸い小十郎が庇ってくれたおかげで怪我はなかったが、 熱で体は動かねぇ。意識が戻った俺に小十郎は路を探すと言って立ち上がった。嫌な予感がしてな、行くな、ここにいろと言いたいのに 舌はちっとも動きやしねぇ。けれども小十郎には伝わったんだろう。俺の手になにかを握らせて、すぐに戻りますと笑った。 ああ、あいつは崖から落ちた俺を庇って利き手を折ってたというのに!
   次に目覚めた時には城のなかだった。小十郎が俺に握らせた鈴がちりちり鳴って、村人に居場所を知らせたらしい。 そして小十郎は、戻ってこなかった。ひと月待ってもふた月待っても、北条に子細を話して頭を下げて山を捜しても見つからなかった。 あいつは鬼に喰われちまったんだ。そうは分かっていても諦めが付くはずがねぇ。今年の雪がとけてすぐ、また山に入って昼夜問わず 捜した。北条の爺さん、俺が山を燃やしてしまうんじゃあないかってびびってたな。まぁ結論から言えば燃やさずにすんだ。
 あん?小十郎には会えたのかって?なぁ忍び、お前気付いているんだろ。先ごろ触れを出して奥州中の鐘やら鈴やらを捨てさせた。 どうにも耳障りで、な。





怪談