誰が言い始めたのかは知らないが、小十郎は朴念仁なのだという。あるじの忠実な右腕で忠臣の鏡、政務の合間にみずから土を耕して 菜を育てることの大事を示し、時には笛を吹いてあるじの心をなぐさめ、身も心も主君にささげ尽くす。その男ぶりに言い寄る女も多い だろうにすべて袖にしているのだと。
 そういった類の噂を聞くたびに政宗は笑いを堪えるのに苦労する。誰が堅物だって?まったく笑わせる。小十郎が澄ました顔で女を 誑かしているのを政宗は知っている。後腐れのない賢い女を選んで、人に知られぬようにうまく立ち回っているだけだ。それこそ男が 傅役をしていた時からそうだったし、長じてその手に触れられるようになってからは身をもって知った。小十郎は素知らぬふりをして 大層慣れた様子だった。そもそも皆の言うように小十郎がただの堅物ならば主君である政宗に手を出すはずがないではないか。
 しっかりとした体つきや乱れぬ太刀筋、落ち着いたたたずまいに人は理想を見いだすのかもしれないが、政宗は違う。いつも男に 獰猛で狡猾なけものを感じた。賢いけものは殺気を漏らしたりしない。知らぬうちに近づいて気付いたときにはもう餌食となったあとだ。 小十郎の整いすぎた部分は清廉ではなく色香に近く、彼は閨でのみ、けだもののさがを見せた。
 何時だったか、あまりに焦らすから泣いてしまったことがある。それは生理的なものに近かったのだけれど、涙を零しながらきっと 小十郎は慌てるのだろうと政宗は思った。小さいころに政宗が泣くと小十郎は困り果てた顔をしたからだ。けれども政宗の読みとは うらはらに彼は笑ったのだった。唇をぐいと引いて、とても男くさい笑みだった。そういえば平然とした顔で言葉攻めと呼んでいい 睦言を囁かれた気もする。小十郎はそんな男だ。あるじに忠節を誓い、閨ではひとりの男として政宗を好き勝手にする。 強いけものが自分より弱いけものをいたぶって遊ぶみたいに、夜の小十郎は意地悪だった。



 規則正しい息づかいを感じて政宗は先程、忍び込んだ部屋を振り返った。もぬけのからであった部屋に男が帰ってきたところだった。 庭に植わる松の木に遮られて小十郎からは政宗が見えない。それをいいことに開け放たれた部屋の中を見ていると、小十郎はあるじの 悪戯に気付いたようであった。
 抱えていた文箱を下ろし、整った手がすいと伸ばされる。文机の上、開きっぱなしの書に挟み込まれた花を小十郎の指が拾い上げる。 驚いたように目を開いた男はやがて微笑むと小さなむらさきを唇にあてた。部屋に投げ込まれる小菊は閨で会いたいという合図だ。 ふいに何時かの交合で耳元で囁かれた甘い睦言を思い出して政宗は身をすくめた。
 未だ昼過ぎだというのに夜の訪れがひどく待ち遠しかった。



きみへの熱情はむらさきの花に潜む